「幸せになれない」「幸せになっちゃいけない」あなたは「幸せになりたい」あなたと同じイキモノです。不幸になる選択を幸せにならない選択をあなた自身がしている、とか。あなた自身が引き寄せている、とか。心無い言葉をかける人に理不尽を感じたり、向こうから寄ってくるんだと言い聞かせたり、頑張りながらもしかして、本当にそうかも知れないと思う事が度々あって苦しくなってしまう事もあります。その苦しみを味わうその時こそ逃げずに自分と向き合ってみませんか?その苦しみは、出口の見えないいつまで続くのかわからない苦しみではなくあと少しで気付くシグナルです。好転反応です。私たちは幸せに成れないのではなく幸せに慣れないだけなんです。幸せになっちゃっていいんです。もしかして、今現在がすでに意外と幸せだったりします。「幸せになりたい」まるで、今そうでないような台詞。幸せは雲の上やテレビの向う側にしかないような台詞ではなく。「もっと」を足して自分に伝えてみて。「もっと幸せになりたい」
私、miokinaは 無宗教 です。このチカラをもらってから出会った神さまはものすごくたくさんいるし、大好きな神さまもいっぱいいます。無条件で崇めたり敬ったりする必要は無いと思っていて、何故なら神々もあたし達と同じタマシイで生きているから。得意も不得意もあるし、冗談言ったり、わがまま言ったりする神さまもいるし、仲良くしている神々は贔屓したいし。ただ、宗教を持っている人の批判はしたくないかな。大昔、ヒトビトを統治するためにはシャーマンのチカラが必要でした。学問も何もなかった時代、シャーマンの知恵や神からいただいたメッセージを伝える事で安心してひとつの事に集中したりヒトビトが悪事を働くのは良くない事と認識したり生きて行くために必要だったんです。象徴が必要でした。象徴に対し生け贄を捧げたりする事で平和が保たれている、と思える出来事も多く存在しました。様々なシャーマンの解釈がありますが、私の解釈は「 知恵者 」です。生きやすく活きる知恵を持った、能力の高い人。そういう意識です。大昔は、人柱を立てたり、生け贄を捧げたり、そういう形を取っていたけれど、時
愛ってなんだろう?そんな風に感じた事ありませんか?私は今も毎日感じています。生命と生命は愛を築く事が出来ます。愛を築きながら絆を深める事が出来ます。絆を深めながら軸を持つ事が出来ます。軸を持ちながら土台を創る事が出来ます。愛の形を追いかけていた時期がありました。物質の世界にいる私たちはどうしても形がある方が理解しやすく、安心安定に繋がります。愛がわからなかった私はそれまで、一方的に投げ付けてく「 愛の無差別テロ 」をしながら生きていました。相手を選ばない、手段を選ばない愛を投げ付ける事で一見「 良い人 」と思われて好かれてきました。そうする事で「 必要とされている感 」や「 生きていていいよと許可されている感 」を味わう事をして来たのだと思います。どんなに理不尽な目に遭っても許していました。傷付く事に慣れて生きていました。存在してはいけない、と自分に対して縛りを与える事で「 人を嫌う、憎む 」事が出来ない大人になりました。愛される事を許可していませんでした。なので、一方的に一方的な愛を与えるやり方しか出来ず、自分を許さないので
幻と現実の境目に立つ キミのユラメキは 燃え上がることなく 燃え尽きることなく ただそこにいるだけで 信じる事を素晴らしいと ずっと思い込んで 生きてきたけれど 信じる事が出来ないのは それはとても辛く 憐れむ生き方 そう思い込んで 生きてきたけれど キミが教えてくれた 100%信じないで 愛を確かめたくて 100%信じないで 人を愛する術に...
天使や悪魔もスピリチュアルが好きな方は良く聞くと思いますが、どんな存在だと思いますか?魂を持っていないので精霊・聖霊のジャンルになります。神は魂を持っていますが、同じ視えないイキモノでも天使たちは魂を持っていないんですね。神に仕える、立場の子たちです。たまに、天使がついている人を見かけますが、守護神とは違い、守護天使って言い方をします。あなた(水戸黄門)に対して仕える天使(助さん角さん)でイメージするとわかりやすいかも。感謝の対象にはなりますが、崇める対象ではないのがわかると思います。守護神、守護天使と書いたので触れますが【 守護霊 】というジャンルのイキモノがいます。霊、と書いてありますが、神です。人として最大限に魂が育って後、一番最初になる神が守護霊です。神も魂を持っている限り魂の成長を続けて生きています。人一人の(ほとんどが身内の方)人生を生まれてから死ぬまで見守り続ける、、というハードな役割を全うする為に守護霊をやります。それが終わったらまた次の神に上がるのですが。。なので、例えばオードリーヘップバーンが私の守護霊だったり、最
私が大好きな神の中に「ニニギ」という方がいます。私からみたらおじいちゃんに見え、いつもニコニコと楽しそうにしています。最初の出会いは、11年前でした。お客様の鑑定時にニニギに呼ばれ、沖縄北部のある山を指定され、伝えたい事があるから来るように、と言われ、お客様を連れてその山に向かいました。駐車場を降りて急激な階段を登り切り、神社があったのでそこでお話を聞くのだなと思い「ここで良いですか?」と聞きました。そうしたら、違う、もっと奥だ、と言われるまま山を登り頂上の切り株までたどり着きました。その切り株には石が3つ置かれており、それに向かって三回深くお辞儀をするよう、促されました。お辞儀をして話を聞こうとしたら「下がって良い」と言うので意味がわからず、それだけの為に来たの?となり、そのまま来た道を帰ろうとしたら、また、違う、こっちだ、と言われます。言われるまま山を歩き、息を切らせながら山を一周し、何故か元の神社にたどり着きました。私は肩で息をし、汗が溢れている中「ここで良いですか?」と聞いたら笑ながら「よい、よい」と言います。最初からここで良かったじゃん!
濁りきった夢に溺れてた
テレビの向こうや雲の上
正直なとこ幸せなんて
空想妄想幻想それがそう
掴み切れない出来ない感じ 乗り越えなくちゃいけない現実なんて
ホントにそんなにもがいてやるしかないの? 焦って転んで挫けてそれでも歩く
きれいごと上の空今笑いたくない 無理して笑って笑って何かが変わる...
あったかいものがいつも あたしに語りかける そのままで良いよ あなたのままで良いよ 自己犠牲の精神と 雁字搦めの呪文 一緒に解いて あたしのままを知ろう 憂鬱を知って 孤独を見つけて 笑いたくなって あなたが見つめて いつもの朝が鳥が雲が 微笑む空が 良いよ 良いよ 少しだけ泣いて いっぱい泣いて 全部のあたしを 許してそして あったかいものが今日も...
私が私を想い生きる為に必要な事を改めて気付く事が出来、光を掴む事が出来ました。過去のどの場面においても欠かせなかった事。自分を犠牲にしても深い傷を負っても何度学習しても止められなかった事。『 ヒトを想いヒトに尽くす事 』能力が開き、たくさんの経験を経て、私はそれを職業にする事を選びました。そうしたら、色々な事がクリアになり様々な気付きに出会いました。・欲張りになる事。・自分を最優先に想う事。・自己犠牲をやめる事。・自分を愛する事。そうして得た事で始めた『 求める方に与えられた時間だけ愛を注ぎ自分自身も満たされる』お仕事。そして新しく、1番新しく気付けたのが働いている私は(誰かを想い誰かの役に立つヒントを届ける私は)お水の中で気持ち良く泳ぐお魚である事。私にとって必要不可欠な『空気』生きている実感、喜びである事。大好きな大好きなお仕事をずっとずっと続けていきたい、そう思います。今の地球上にあるイノチ、ヒトビトの3分の2は魂が大きく、その半分はさらに大きく、その中で不具合に苦しむヒトビトが8割以上もいるそうです。
神々は思うより万能ではない。だから人々に役割を与える。適材適所。自分で自分の体を拭けるお地蔵さんはいないでしょ?能力者であれば誰でも拭けるわけでもない。お熱を出したり謎の湿疹が出たりする事もある。拝所をまわる順番を間違えちゃいけない能力者もいるし間違えるとかなり大変な事に。あと、結構トップダウン型です。神様とおしゃべり出来る人もいれば会話出来る人もいて、伺うだけの人もいる。間違えてしまい、熱を出したり謎の症状が起きたりしてそれを「 バチが当たった 」と受け止める人もいるけど、そうじゃない。ひとんちに入る時、ノックしたりチャイム鳴らしたり、お邪魔しますって言ったりしますよね。神々の世界(空間)に足を入れるのだからご挨拶くらい礼儀としてやる必要があるんですね。やらないから突然しずかちゃんのお風呂タイムにどこでもドアで乗り込むのび太くんみたいに「キャー!のび太さんのエッチ!」とお湯を浴びたりするんです。能力のない方ならお湯を浴びたりしても感じないけど、ある方は感じちゃうんです。肌の能力が高いと強く感じてしまう。